FIELD NOTES / 01
「あんなもんじゃない」
祖父が酔うと語ったシベリア抑留
シベリア抑留を描いた本や映画について、大正生まれの祖父はこう言っていました。
「あんなものはオブラートに包んだもので、まやかしだ。あんなもんじゃない」
母方の祖父は、シベリア抑留から帰ってきた人でした。普段、その話はしませんでした。酒が入ると、よく話してくれました。
以下は、小学生だった私が、酔った祖父から聞いた話です。祖父はもう亡くなっていて、確かめることはできません。四十年近く前の、子どもの記憶です。細部は違っているかもしれません。それでも、聞いた人が書き残さなければ、どこにも残らない話なので、覚えている限りを書いておきます。
毎朝の日課
朝起きると、仲間が凍りついて死んでいる。
凍死した人は、なぜか両手両足を上にあげて死んでいた、と祖父は言っていました。
その仲間の墓を掘るのが、毎朝の日課だった。地面は凍土で、掘るのがとにかく大変だった。
袖だけ
上着の袖を、パンと交換した仲間がいた。その人は翌日、凍死した。
上着ごとではありません。袖だけです。
上着を手放せば死ぬことは、その人も分かっていたのだと思います。だから上着は残して、袖だけを切り離して、パンに替えた。袖くらいならなんとかなると考えたのでしょう。その袖一本の分の寒さで、翌朝には死んでいた。
寒さや飢えより
何が一番つらかったか。寒さでも、飢えでもなく、南京虫だった、と祖父は言っていました。
シベリア抑留と聞けば、誰もが寒さと飢えを思い浮かべます。体験した本人の答えは違いました。
じゃがいも
作業中に、じゃがいもを拾った。焚き火で温めて食べようとしたら、馬糞だった。
馬糞をじゃがいもだと思って拾うほど、腹をすかせていたということです。
脱走
祖父は、自分で脱走しようとして、機銃掃射を受けたことがある、と話していました。
舞鶴
帰国した船が着いたのは、舞鶴でした。
そこで、一時金として、まとまったお金を受け取ったそうです。それを、その日のうちに、全部飲み食いして使ってしまった、と言っていました。
なくしたレポート
中学生のとき、歴史の宿題で、祖父に話を聞いてまとめたことがあります。いつ、どこへ出征したか。どこで捕まって捕虜になったか。いつ帰国して、どこの港に着いたか。
そのレポート用紙は、なくしてしまいました。覚えているのは、ここに書いた断片だけです。捕まったのは、たぶん大連か旅順のあたりだったと思います。
祖父が言った「あんなもんじゃない」の「あんなもん」の外側にあったものを、私は全部は知りません。祖父が酒の力を借りて話せた分だけを、聞いただけです。
FIELD NOTES は、筆者が見聞きしたことの記録です。記憶にもとづいて書いているため、細部が事実と異なる場合があります。確かめられたことと、記憶や伝え聞きの部分は、できるだけ書き分けています。